7月14日(水)
今日の山陰中央新報に、野生化した「アライグマ」の島根県内の捕獲・駆除数が、今年は7月13日現在で、昨年1年間の総数(24匹)に迫る23匹に上っている。という記事が載っていた。記事の脇に捕獲された「アライグマ」の写真があったが、怯えて不安だらけの眼が胸に刺さった。 やりきれない思いと同時にある詩を思い出した。
何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。 ・
動物園の四坪半(よつぼはん)のぬかるみの中では、
脚が大股(おおまた)過ぎるぢやないか。
頸(くび)があんまり長過ぎるぢやないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢやないか。 ・
腹がへるから堅(かた)パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかり見てゐるぢやないか。 ・
身も世もない様に燃えてゐるぢやないか。 ・
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢやないか。 ・
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆(さか)まいてゐるぢやないか。
これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。 ・
人間よ、 ・
もう止(よ)せ、こんな事は。
「ぼろぼろな駝鳥」 高村光太郎
詩の内容と、ペットの野生化の問題は違うでしょうが、結局は我々人間の欲の犠牲になっている生き物達がいることを、忘れないで行動したいと切に思いました。